織絵屋のブログ

January 2024のブログ記事

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です。今回は『名古屋帯』について述べます。

 

以前、「帯は霊的パワーを帯びるものであると思われていました。」と、述べましたが、名古屋帯は一般的な帯・袋帯よりも80cmほど短い帯です。

 

名古屋帯の歴史は、大正時代に「服装改革運動」が叫ばれていたころ、名古屋の女学校の先生が帯をもっと簡単に締められるようにと仕立てた帯が『名古屋仕立』と呼ばれたことに由来します。

 

袋帯は胴に巻く部分を半分に折りながら締めますが、名古屋帯は胴に巻く部分を最初から半分に縫い合わせて仕立てています。

 

 

また、お太鼓結が二重太鼓にならない長さに仕立ていますので、とても締めやすく、瞬く間に普及していきました。

 

袋帯は、織物がほとんどですが、名古屋帯は織物の他にも、ちりめんや塩瀬の生地に染めたモノなどいろいろあります。

 

帯芯を入れて仕立てる9寸名古屋帯と手先と太鼓部分をかがるだけの8寸名古屋帯があります。

 

価格的にもリーズナブルなモノが多いので、留袖、訪問着以外の着物に気軽に締められるのでおすすめです。

 

名古屋帯について詳しく知りたい方は、気軽にお問合せ、またはご来店下さい。

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です。最近、お客様から「私の草履はかかとが出ているのですが、サイズが小さいのでしょうか?」という質問を受けました。

 

今回は、草履について述べます。

 

 

草履は、元々、足の裏を保護するために作られましたが、足の前半分だけの草履でした。

 

これは、かかとを付けずに歩くためのモノで、とても早く歩けるのです。浮世絵でこの草履を履いて前かがみに歩いている姿を見ることが出来ます。

 

やがて、後まである現代と同じような草履が作られるようになりましたが、それでも芸者衆は好んでかかとが出る小さめの草履を履いていたようです。

 

これは、小さめの草履を履いていると、足腰が鍛えられてヒップアップされ、いわゆる「小股が切れ上がった」状態にするためだったようです。

 

また、足の後ろまである草履ですと、うっかり着物の裾を踏んでしまい、着くずれの原因になってしまいます。

 

かかとが5mm~1cmほど出るサイズの草履がベストです。

 

草履のことでお悩みがある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。最近、テレビなどで女性が着物を左前で着ているのを時々、見かけます。

 

 

洋服を着る場合、男性は左側の衿が上にくる右前、女性は右側の衿が上にくる左前です。

 

しかし、着物の場合、男性も女性も左側が上にくる右前です。これは、なぜでしょうか?

 

いくつかの説があります。

 

一つには、719年に「衣服は右前に着ること」という勅令が出されたからという説です。古墳から発掘された埴輪を見ると、右前の埴輪もありますが、多くは左前の埴輪だったことから、古くは左前で着ている人も多かったと思われます。

 

二つには、日本人は右利きが多いからだという説です。右前は、着物の場合、懐に小物を入れやすいという利点があります。

 

三つには、日本人は古くより陰陽を大切にしていました。左は「陽足」と書き、火すなわち陽を意味します。右は「水極」と書き、月、水すなわち陰を意味します。ですから、陽を意味する左側が上になるのが自然なのです。

 

事業が失敗して財産が傾くことを「左前になる」と言いますが、これは、死者には衣装を左前に着せて、生前と区別するという風習があり、財産が傾くと死が近づくことから来た言葉だそうです。

 

くれぐれも間違いない様に、右側が手前(体側)ですよ。

 

着物のことで知りたいことやお悩みがありましたら、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

 

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織絵屋の松山です。T・P・Oを考えずに着られるうれしい着物が色無地です。

 

着物を着ていく時、場所や場合によって様々なルールがあります。これは、相手に礼を尽くすという着物の特徴でもありますが、着物入門のネックにもなっています。

 

そんな着物の中で、色無地はほとんどTPOを考えずに着られるオールマイティな着物です。

 

色無地は全体を一色で染められた着物です。

 

 

結婚式や披露宴の席でもOK(母親は除く)です。結納やパーティーOKです。お宮参り、七五三参り、入卒OKです。食事会や観劇、ショッピングというときもOKです。また、法事の席でもOKです。

 

私は、着物の模様・文様は自分のためにあるのではなく、招待してくれた人や周りの人に見てもらう、またメッセージを伝えるためにあると思います。

 

色無地は模様・文様が描かれておらず、自分の個性を引き出してくれる自分のための着物と言えるのだはないでしょうか。

 

色無地を着る時のアドバイスを三つお伝えします。

 

第一は、帯についてです。色無地の場合、帯は何でも不思議に合いますが、フォーマルの席では格式のある袋帯を、カジュアルな場面では名古屋帯や半巾帯で楽しみましょう。

 

第二には、家紋です。背紋をひとつ入れておくと便利です。格式ばった染め紋より、地色の濃淡の色糸で縫い紋を入れるのをおすすめします。

 

第三には、八掛・裾廻しです。一般的には地色の同じ共色を合せますが、個性を表現する着物ですから、全く違う色の八掛・裾廻しに挑戦してもらいたいものです。

 

歩くときに、チラリチラリとのぞく、意外な色の八掛で、周りをハッとさせてみませんか。

 

色無地の着物に興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。古来、日本三大紬と言われたのは、大島紬、結城紬、そして牛首紬(うしくびつむぎ)でした。

 

 石川県牛首紬振興組合ホームページより転載

しかし、牛首紬は、昭和30年に生産者が一軒だけになってしまい、昭和49年には産地自体がダムの底に沈んでしまいました。それ故に、「幻の紬」と呼ばれています。

 

着道楽の京都でさえ、「せめて牛首の羽織が欲しい!」といわれるほど生産量が少なかったのです。

 

牛首紬の由来は、産地の石川県白峰村が、明治の初めまで牛首村だったからだそうです。

 

1159年に、源氏のお落人が村に住み着き、その妻が織物の技術を村人に伝えたと言い伝えられています。

 

牛首紬の特徴は、緯糸に玉繭(2匹の蚕で一つの繭を形成したモノ)を使うところにあります。

 

冬には積雪が3~5mにもなる豪雪地帯の村では、繭は大変貴重なもので、上質な繭は出荷し、残った玉繭を織物に使ったのが始まりと言われています。

 

玉繭は絡みやすいので、熱湯の中から直接素手で糸を引いていきます。

 

そして、「糸ハタキ」という糸に空気を含ませる独特の作業にも特徴があります。その他にも14の工程がすべて手作業によって行われています。

 

そうして織り上がった牛首紬は、綸子のようなしなやかさとシワになりにくい、丈夫な織物で、別名「釘抜き紬」とも呼ばれています。

 

大島紬の絣の繊細さと衣擦れの音、結城紬の包まれるような優しさとぬくもり、牛首紬のしなやかさを着比べてみてはいかがでしょう。

 

牛首紬が気になる方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。日本三大紬の大島紬が西の横綱だとすれば、東の横綱は茨城県で織られている結城紬です。

 

 

茨城県結城地方は、古くより織物が盛んでした。奈良時代に「あしぎぬ」と呼ばれた絹織物が朝廷に献上され、今でも日本最古の織物として正倉院に保存されています。

 

その「あしぎぬ」が「常陸紬」、そして「結城紬」となったのです。

 

結城紬は、江戸時代まで無地や縞が織られていましたが、明治時代に絣技術が導入され、様々な絣模様が織られるようになりました。

 

また、大正から昭和の30年代までは、主に「縮み」が織られていました。

 

『春大島、秋結城」という言葉がありますが、これは弱撚糸(軽く撚りをかけた糸)の生糸で織った大島紬は、薄くて光沢があり、春に着るのに適し、一方、真綿で織った結城紬は地厚で暖かいので秋に着るのに適しているという意味です。

 

結城紬の特長は、真綿糸で織っているので、腰紐も必要ないくらい体に張り付き、軽くてシワにならず、しかも丈夫だということです。

 

また、その優しい肌触りです。

 

1998年に信州大学と宇都宮大学の共同研究で、「真綿の総合特性の評価」という論文が発表されました。

 

その中に、「人が安らぎを感じているときに発生する脳波・アルファ波は、赤ちゃんに触った時に多く発生するが、真綿に触った時には、それ以上に多く発生する。真綿はストレス社会に生きる現代人の救世主に成り得る。」と述べられています。

 

真綿で織られた結城紬は、ストレスを多く感じる人におすすめの着物です。

 

結城紬が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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日本三大紬の中で。今でも最も人気が高く、女性のあこがれと言われる本場大島紬。

 

 

 

大島紬の発祥の地は奄美大島です。歴史は古く、7世紀ころに始まったようです。

 

現在、本場大島紬は三つの産地で織られています。奄美大島地方で織られているものは地球儀印、鹿児島市で織られているものには国旗印、そして、宮崎県都城市で織られているものには鶴印の証紙がそれぞれ貼られています。

 

大島紬の第一の魅力は、世界一と言われる絣の細かさです。

様々な紬の絣は、絣部分を糸で括ったり、板で締めて作りますが、大島紬は締め機という独特の機で、絣を作るためだけに織り上げてムシロ状にしたものを染めて絣を作るのです。

 

第二には、テーチ木(車輪梅)と泥染にによる温かみのある深い色合いがあります。

 

テーチ木のチップを煮出して釜で、染めては乾かす作業を20回繰り返し、その後、奄美大島の鉄分を含んだ独特の泥田で染めます。

 

この作業を4回繰り返しますので、84回も染めることになります。だから、軽くてシワにならず、艶やかな風合いになるのです。

 

経糸と緯糸の小さな絣が正確に合うように織らなければならない織り手の女性は、イライラしたり、哀しみの気持ちがあると、自分の心の様がそのまま反物上に現れるそうです。

 

ですから、織り手の女性は、常に気持ちを落ち着かせ、反物に語り掛けながら織っていくそうです。

 

織り上がった大島紬の反物を出荷するときは、一晩抱いて寝る織り手の女性もいると聞きました。ロマンあふれる大島紬。一枚は欲しい着物ですね。

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現代では、付下げと訪問着の違いは、仕立上がった状態では判別しづらいと思います。

 

明治時代までの晴れ着としては「小袖(全体に絵羽模様)」と「裾模様(上前と下前にだけ絵羽模様)」の二種類でした。

 

 

大正時代に、小袖を簡略化した、今でいう訪問着が作られるようになりました。これは、胸部分から両袖、そして裾全体に絵羽模様を描いたものです。

 

これらは全て、白生地を仮絵羽(着物の形に粗く縫ったモノ)にしてから模様を描いた着物でした。

 

着物の数が必要な芸者衆は、訪問着をさらにコストカットして、華やかだけれど安価な着物を求めました。

 

それが、昭和の初期に作られた、今でいう付下げです。これは、白生地を仮絵羽にせずに、反物のまま、左の肩と前身頃、そして左の内袖、右の外袖だけに模様を描いた着物です。

 

仕立て上がった付下げを前から見ると、訪問着にそん色のない着物になります。

 

これは、染の質を落とさずに素敵な着物を作るという素晴らしい発想でした。

 

ちなみに、なぜ、袖部分の模様が左の内袖と右の外袖だけかというと、三味線を弾くときに、模様がお客様に華やかに見えるようにしたのです。

 ※本来の付下げは一方付け小紋のことです。

 

付下げ、訪問着が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。、

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織絵屋の松山です。今回は、着物の中でもTPOを問わない色無地の染め方について述べます。まずは、下画像をご覧ください。

 

  

 

 左が「炊きぞめ」、右が「引き染め」です。

 

「炊き染め」は染料を釜で煮立て、そこに白生地を入れて煮染めします。昔は、職人が汗をかきながら一反、一反染めていましたが、近年はローラーで白生地を染料の入った釜に送って染めています。

 

「引き染め」は、白生地に伸子という竹ヒゴで20~40cm間隔でピンと張り、熟練の職人が刷毛で染めていきます。

 

反物での見分け方は、上画像の様に、生地の端まで染まったモノが「炊き染め」、生地の端が白く残っているのが「引き染め」です。

 

価格的には、「炊き染め」がリーズナブルですが、「引き染め」は色に深みがありながら、透明感があり、顔の映りがキレイに見えるのでおすすめです。

 

色無地が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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織絵屋の松山です。前回の『小紋』でも述べましたが、江戸小紋は武士の裃から発展しました。裃に染められた文様でどこの藩士か分かるようにしたのです。

 

 

庶民の服装が華やかになると、江戸幕府は、庶民が絞りや友禅などを着用することを禁じる奢侈禁止令を出しました。

 

すると、庶民は隠れたところにオシャレを楽しみました。

 

長襦袢や羽裏などに贅を尽くしました。そして、遠目には無地にしか見えない極小柄の江戸小紋を羽織や着物に用いたのです。

 

もちろん、各藩の裃に使われる文様(柄)は使えませんので、いわれ小紋と呼ばれた「南天(難を転じて福となすの意」、「六瓢箪(むびょうたん・無病)の意」などの文様や「大根におろし金」、「魚に包丁」といった生活用品の文様を使いました。

 

江戸小紋の染め方は、白生地に文様を彫った型紙を使い、糊を型置きしていき、その上から地色を染めます。その後、水洗いすると型置きした糊が洗い流され、白い文様が現れます。

 

型紙は伊勢の白子(三重県鈴鹿市)で作られていますが、楮の和紙3、4枚を柿渋で貼り合わせ、数年から10年も寝かせてから、初めて型彫りします。

 

型彫りに使う様々な道具も、職人が自ら手作りするそうです。

 

糊の型置きは型紙を40~100回以上も移動して文様(柄)がピッタリ合うようにしなければなりません。

 

一反の着物を染めるために使われる時間と労力の、なんと贅沢なことでしょう。

 

時間に追われる現代人に、ぜひ、来てもらいたい江戸小紋の着物、羽織です。

 

「あら、ステキな色無地ね」と思わせておいて、「近くで見て!実は、これ、江戸小紋なのよ!」なんて、考えるだけで楽しいと思いませんか?

 

江戸小紋が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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織絵屋の松山です。現代では、小紋とは、同じ柄が連続して染められている着物の全てを言います。

 

 

小紋は、小さな紋と書きますが、その由来について述べます。

 

その由来は武士の裃(かみしも)から来ています。

 

江戸時代に、参勤交代制度が確立し、地方の大名も、必ず江戸に上京しなければならなくなりました。

 

すると、江戸城の殿中で、同じ佐々木という家の武士がいた場合、どこの藩の佐々木さんなのか分かりません。

 

そこで、一目ですぐ分かるように、各藩の文様(小さな鮫文様やあられ文様など)を裃に染めたのです。

 

上の例でいえば、佐々木家を表す背紋や胸紋の大きな紋に対して小さな紋ということで小紋と呼ばれるようになりました。

 

やがて、小紋は様々な文様が染められるようになり、芸者衆を始め、女性たちも着るようになりました。

 

ところで、着物通の女性が良く使う言葉に「着物は小紋に始まり、小紋に終わる」という言葉があります。

 

これは、小紋のバリエーションの多さからフォーマルからカジュアルまで幅広く着回しできる重宝な着物だからこそです。

 

男の正装柄であった江戸小紋に、男しか着装できなかった羽織(少し長めが良い)を重ねて、「粋な女」を演じるのも楽しいと思います。

 

小紋が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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織絵屋の松山です。私は会社(店)から帰宅すると、自宅用の普段着に着替えます。着物を脱いで、また別の着物に着替えるのですが、5分もあれば十分。

 

これは、私が男なので、男の着物は着丈で作られていますし、帯結びも簡単だからです。

 

しかし、女性の着物には「おはしょり」という余分な部分があります。これが、女性が自分で着物を着るときの第一の関門になっています。

 

 

なぜ、女性の着物だけに「おはしょり」があるのでしょうか?

 

「おはしょり」になる部分は、身丈から着丈を引いた30cmほどで、ちょうど帯の下部分になるところです。

 

「おはしょり」があることで、腰紐の位置をずらせば、少々の身長の違いは問題なく着られる合理性があります。

 

また、着丈の着物は少し動くだけで着くずれしやすく、前部分がはだけてしまいます。特に、女性の場合は胸のふくらみがあるのでなおさらです。

 

実は、もうひとつ「おはしょり」には深い意味があります。

 

時代劇等で、おはしょりをせずに着物を引きずっているシーンをよく見かけると思います。

 

源氏物語でも分かるように、昔は男性が女性のところに通う「通い婚」でした。そのため、女性の着物には夜具(布団)の役目が必要だったと言われています。

 

それ故に、「おはしょり」に女性の色気が漂うのかもしれません。

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織絵屋の松山です。帯締め、帯揚げの歴史は、江戸時代の後期から始まりました。

 

 

それ以前は、時代劇や浮世絵を見ても分かるように帯締め、帯揚げは使われていませんでした。

 

今から200年ほど前、江戸・亀戸天神の太鼓橋再建の渡り初め式で、深川芸者衆が揃って太鼓橋に似せた帯結びをしました。

 

この帯結びは「お太鼓結び」と呼ばれ、「芸は売っても女は売らない」という粋な羽織芸者が揃って締めたことで、「お太鼓結び」はあっという間に一般女性の間に広まったのです。

 

「お太鼓結び」は、帯を固定する紐が必要なことから、帯締めが生まれました。帯締めは、始めは布を筒状に縫い、中に綿を詰めた、いわゆる「丸ぐけ」でした。

 

やがて、昭和になると、高価ではあるが結び目が緩みにくい組紐の帯締めが主流になっていきました。

 

また、「お太鼓結び」にはどうしても帯枕が必要です。帯揚げは、この帯枕を包んで隠し、着物と帯の間のアクセント、装飾として使われました。

 

帯締めと帯揚げは着物姿の画龍点睛。どんなに高価で素敵な着物と帯で装っていても、帯締め、帯揚げが貧弱だったり、合っていないと全てが台無しになってしまいます。

 

同じ着物と帯でも、帯締め、帯揚げを替えるだけで季節感を出せます。春夏は寒色系や明るめの色で、秋冬は暖色系や濃いめの色を基本にすると間違いないでしょう。

 

帯締め、帯揚げのコーディネートでお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。長襦袢の名の由来は、ポルトガルのジバン(肌着、シャツの意味)から来たと言われています。

 

長襦袢の始まりは、腰までの長さの半襦袢でした。この半襦袢に裾除けを合せたものが、江戸中期までの一般的な下着のスタイルでした。

 

元禄の頃、遊郭で半襦袢と裾除けを縫い合わせたモノが流行し、これが一般庶民にも広がり、長襦袢を着る人が増えたのです。

 

江戸幕府が、度々、奢侈禁止令を出し、庶民の華美な服装を取り締まっていくと、庶民は見えないところに贅を尽くすようになりました。

 

その一つが長襦袢でした。生地に羽二重や綸子などの高級な絹物を使い、友禅や刺しゅう、絞りを施し、現代の人が見ると、とても下着とは思えないほどぜいたくな長襦袢も着られていました。

 

半衿は、当初、普段着には汚れが目立たない黒、礼装には白の無地を使っていましたが、贅をつくした長襦袢が着られるようになると、小紋柄や刺しゅう、絞りなどの色半衿が流行しました。

 

明治から昭和初期までは、多くの半衿の専門店がありました。

 

半衿の選び方、付け替えでお悩みの方は気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。近年、長めの羽織がブームになっています。

 

 

羽織は、本来、江戸時代の武士の正装である裃(かみしも)が変形したものです。つまり、羽織袴の羽織です。

 

羽織は地位を表すもので、農民では庄屋さん、商人では番頭さんにならないと着用できませんでした。

 

現代でも、大相撲の世界では関取(十両以上の力士)でないと、羽織は着用できません。

 

また、江戸時代は、女性は羽織着用禁止令が出され、着用できませんでした。

 

しかし、それでも羽織を着用した一部の女性がいました。

 

未亡人になった女性で、「私はもう再婚はしません!」という意思表示のために羽織を着用していました。

 

また、芸者衆の中で「羽織芸者」と呼ばれる女性は、「私は女を売るんじゃない、芸を売るんだ!」という心意気を羽織で示していたのです。

 

そういうことを考えると、女性の羽織姿は「かっこいい女性」の最高のおしゃれと言えます。

 

羽織に興味のある方は、気軽のお問い合わせ、またはご来店下さい。、

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織絵屋の松山です。日本文化は結びの文化と言われます。その最たるものが帯です。そして、どんな着物でも帯を締めなければ完成しません。

 

 

さて、結婚の結納の目録を見てみると、結納金は「御帯料」と書かれています(地方によっては御小袖料)。

 

これには、どういう意味があるのでしょう。

 

一つには、帯は家と家、人と人を結び合わせ、幸せを呼び寄せるという意味があります。

 

二つには、「振袖のいわれ」でも述べましたが、古来、日本人は長いものに霊力が宿ると信じていました。

 

それゆえに、「この帯料で新しい帯を買い揃えてから嫁いで来て下さい。その帯が、あなたの新しい家族となる夫、やがて生まれてくる子供を病気やケガから守ってくれずはずです。」という思いが込められているのです。

 

ですから、昔は、夫や子供が大病したり、大ケガした時には、その帯の霊力が弱くなったと考え、新しい帯に買い替えたのです。

 

現代でも、女性の大厄33歳のときには、母親が新しい帯を贈って厄除けとする風習が残っています。

 

これらのことから、「着物1枚に帯3本」「裸にも帯」などの言葉が生まれたのです。

 

帯のコーディネートでお悩みの方は気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。前回、古くより日本人の最高の礼服は黒無地の五つ紋、すなわち黒紋付でしたと述べました。

 

 

黒は他の何色にも染まらない極みの色です。また、五つ紋は、背紋がご先祖を、二つの袖紋が両親を、そして、二つの胸紋が兄弟親戚を、つまり、家の代表者を表します。五つ紋黒紋付は、家を代表できる一人前の大人の証だったのです。

 

ですから、葬式に限らず、結婚式、卒業式等の人生の大切な節目の席には、黒紋付が相応しいと言えるのです。

 

喪服は、古くは身内は白、参列者は黒というのが多かったようです。

 

喪服が正式に黒になったのは、明治30年に英照皇太后が亡くなられたときに、宮内省より「喪服は白襟に黒紋付」との告示がされた時からです。上流階級から広まって、一般大衆にも定着していきました。

 

古来、日本人は輪廻の思想を持っており、人の死は肉体と魂の別離を言います。葬式は、肉体と魂を分離させる儀式であり、儀式の最中は、故人(魂)は、まだそこにいるわけですから、喪主は故人の名代ということになります。

 

喪主は、故人とのお別れのために、わざわざ時間を割き、お悔やみに来られた方々に、故人に成り代わって礼を尽くすということです。

 

これらのことから、身内の葬儀の装いは、最高の礼服である五つ紋の黒紋付が相応しいと言えます。

 

 黒紋付(喪服)の選び方でお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。現代では、五つ紋の付いた黒の裾模様の着物、または五つ、三つ、一つの紋が付いた色裾模様の着物を指します。

 

 

前回、振袖は結婚すると袖を振ることを止めるので、留袖(止め袖)になると述べました。

 

留袖は、本来、詰め袖とも言われ、袖を詰め、振りと身八つ口のない袖付けの着物で、「既婚女性は身持ちを固く」と、脇を詰めていたのです。

 

それが、結婚をした女性は家にしっかり根を張り、その家に留まるという意味で留袖と変遷しました。

 

古くより、日本の最高礼服は黒無地の五つ紋、すなわち黒紋付でしたが、晴れの席では色裾模様の詰め袖(後の留袖)でした。

 

五つ紋の黒紋付に裾模様が描かれるようになったのは、江戸末期に芸者衆が着始めてから流行したと言われています。このことが、留袖のことを江戸褄(えどつま)とも呼ぶいわれです。

 

黒留袖も色留袖も、五つ紋なら同格です。ただし、宮中では色が優先されますので、必ず色留袖を着用します。

 

しかし、我が子の結婚式では、身内は控え目にという意味で、黒留袖がふさわしいと思います。

 

最近では、少子化の影響もあって貸衣装で済ますという方も多いですが、家を代表するモノとしてお召になるのが五つ紋の着物ですので、やはり、我家の家紋を付けた黒留袖の着用が望ましいと思います。

 

そういう意味では、黒留袖は、奥様が夫に胸を張って「あなたの名代として着る着物だから買ってちょうだい!」と言える着物だと思います。

 

留袖でお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。今では、振袖は成人式用のユニフォームの代名詞のように思われていますが、多くの人が知らない深い意味があります。

振袖は、本来、未婚女性の第一礼装で、袖丈の長い着物を指します。

 

振袖は、「ふる・そで」でもなく、「ふれ・そで」でもなく、「ふり・そで」と呼びます。

 

「ふり」は「振り掛ける」や「振り払う」というように、振って何かをするというときに使います。それでは、袖を振って何をするというのでしょうか?

 

古来、日本人は振ることによって霊を呼び寄せ、新しい生命が生まれると考えていました。

 

古い祝詞に、「ふるべゆらゆら」という言葉があります。これは、モノをゆらゆら振ると、そこに霊が降りて来て、生命を与えてくれる現象を言うそうです。

 

つまり、振袖は袖を振ることによって、伴侶となる男性の霊を呼び寄せ、新しい命を授かると考えていました。そして、振るモノが長いほど、そのパワーが大きいと考えていたのです。

 

今も昔も、未婚の娘を持つ父母、祖父母の一番の願いは、娘の幸せな将来です。「どうか、娘が良い男性と巡り会い、元気な子宝に恵まれますように!」という切なる願いを、長い袖の振袖に託したのです。

 

結婚すると、袖を振ることを止めるので、止め袖(留袖)となるのです。

 

娘さん、孫娘さんに振袖を揃えて上げるときは、こんな振袖のいわれも伝えて下さい。

 

振袖でお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

 

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織絵屋の松山です。東北では、なじみが薄いと思いますが、子どもの情操教育にもなるので、ぜひ、やって欲しいお祝いが十三参りです。

 

本来は、数えの13歳の4月13日に、虚空蔵菩薩に「大人の知恵」を授かるためにお参りするお祝いです。

 

女の子が初めて本裁ちのきもの(大人用の着物)を着せてもらうお祝いでもあります。

 

体は大人になりつつあるけど、心はまだ子供という不安定な時期に、神仏に「どうか、私に大人の知恵を授けて下さい!」と願掛けすることによって、本人に大人の自覚を促す行事です。

 

大切なことは、13参りのお祝いの席で、「このお祝いは、あなたが大人の仲間入りの準備をしますと宣言するお祝いなのよ。お父さんもお母さんも、これからは、あなたのことを大人として接していくので、あなたも大人の自覚をするように努力してね。」と話してあげることです。

 

13参りの着物ののことでお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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絵屋の松山です。前回、「お宮参り・のしめ(祝い着)」にいわれは、氏神様に「私たちの大切なこの児の命が延びますようにお守りください。」とお願いすることだと述べました。

 

乳幼児の死亡率が高かった時代には、両親や家族にとって切なる願いでした。

 

そして、ほっと一安心する目安は、女の児が3歳、男の児が5歳でした。また、昔は「7つになる前は神の子」と言われ、、7歳を持って村落共同体から初めて社会的人格が認められました。

 

「お陰さまでここまで無事に育ちました。ありがとうございます!」と、お礼にお参りするのが七五三の意味なのです。

 

本来は、数えの3歳、5歳、7歳の年の11月15日に行うものですが、数えでも満でも構いません。一番大切なことは、子どもに「幼くしてなくなる児も少なくないのよ。お父さんもお母さんも、あなたが無事に育ってくれて、本当にうれしかった!」と、七五三参りの写真を見せながら話して聞かせることです。

 

七五三参りの晴れ着のことでお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。

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織絵屋の松山です。赤ちゃんが産まれて、一ヵ月後くらいに初宮参りに行きます。

 

 

その時、赤ちゃんにかける祝い着を「のしめ」言います。

 

乳幼児の死亡率が高かった昔、氏神様に「この児は私たちのかけがえのない一番大切な家族です。どうか、この児の命が延びますようにお守りください!」との切なる親心を「のしめ(祝い着)」に込めたのです。

 

そして、女の児は3歳の時に、その祝い着に被布を付け、男の児は5歳の時に、袴を付けて、氏神様にこれまで無事に育った御礼とこれからの健やかな成長を祈願するのです。

 

これが七五三のお祝いの意味です。子供に反抗期が訪れたら、写真を見せながら七五三の意味を聞かせて上げて下さい。

きっと、素直に育ってくれることでしょう。

 

お宮参りの祝い着でお悩みの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

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